吐き溜め日記。

つらつら書きます。

愛されたい話。

 

 

 

どうも、たおです。お久しぶりです。

アプリ版の方で寝ぼけて前回の記事を消してしまっていた、

悲しい。(下書きもいくつか消えていた。)

 

めげずに書きます。

そんなわけで今回は愛されたい話です。

 

 

愛情を考える。

常日頃死にたいけど、それと同じぐらい心にへばりついて離れない欲求がある。

愛されたいのだ。とても、

確かに今まで恋人が居たこともあるし、好きだったと思う。

身の回りの先輩なんかにはよく面倒を見て貰ってると思う。

ただ”愛情”と言われるといきなりそれがぼんやりしてしまう、

どれも違う気がする。しっくりこない

よく分からない。という事で調べてみた。

以下コトバンクさんからの引用。いつもお世話になってます。

 

 

あいじょう【愛情】


人や物を心から大切に思うあたたかい気持ち。いつくしみの心。 

異性を恋しく思う心。

 

 

ここで今回掘り下げたいのは

1の愛情だ。いつくしみの心、これがピンと来ない。

いつくしみって何だ。さらに調べてみる。

…が。いつくしみを調べてみると

「慈愛」とか「恵み」とかさらに難しい言葉になってくる。

沼にはまった。分からないものが謎になってきた。

ただここで終われない。久々なのにこの記事終わっちゃうよ!!

諦め悪くそこからさらに調べてみた。

以下引用。

 

いつくしみ

人物や物事に対して抱く、かけがえのない感情のこと

 

じあい【慈愛】

親が子供をいつくしみ、かわいがるような、深い愛情。

 

要は世間一般的な親や、兄弟なんかの家族から

大切に、大切にされて与えられるもの。

印象としてはあたたかくて、柔らかいものなんだと思う。

 

無償の愛情

どうしてここまでこだわるのか考えてみた

ズルズル生きている私は

誰かから無償の愛情を与えられ、

また自分も与える、という事に強い憧れがある。

無償の愛情の受け渡しによって、

”生きていてもいいんだよ。”と自分が好きになった人に許されたいんだ。

 

じゃあ無償の愛情とはなんなのか、

私の絞り出した答えは

どれだけ悪さをしたって、迷惑をかけられたって、

嫌いになれない。最後まで信じて、最終的には許してしまう。

そんな「本来親が絶対的にくれるもの」だ。

TVなんかでもよく見ると思う、

ここまで書いて、どうして私が1の様な”愛情”に対して
うすぼんやりとして他人事みたいな感覚になるのか分かった。


過去のブログでも何度か書いたように
私には愛されてきた自覚・自信がない。

確かに両親にはここまで育てて貰って感謝してる

自分のお給料を貰ってからは好きなことをやってきた。

 

でも悪いことをしてしまって他人に迷惑をかけた時。

私の両親が私を最後まで信じ、嫌いにならず、最終的に許してもらえるとは

どうしても思えない。

先日母親に私を産んで良かったことは?と聞いてみたら

「反抗期もなく手の掛からない、いい子で楽だった。」と返ってきた。

そんなに深く考えて言ってないとは思う。

 

ただその答えを聞いた時に今まで生きてきて、

いつか愛してもらえる。いつか認めてくれる。そう思い続けて

反抗もせず、泣き叫んで助けを求めることも無く

じっと黙って耐えた時間は

結局「手の掛からない、いい子の私」を作り上げて、

その他人の求める”私”と本当の愛されたがりで、寂しがりな”自分”との

溝を深めて自分の首を絞めることになっただけ。

何とも言えない惨めで情けない気持ちになった。

 

悲しいことだけど最終的な絶対の味方、愛情をくれる人は
私にとって両親ではない。

 

そんな私は”愛情”の上手な渡し方も受け取り方も分からない。

分かり切ったことだけど、こんな状態ではいざ大切な人ができても

「いい子で居ないと、この人の求める私で居ないと嫌われてしまう」

と言う考え方が強すぎて結局自分を隠しているうちに

どうしようもないことで悩み、パンクして持たなくなる。

つくづく生き辛い奴である。めんどくさい。

そんな事を繰り返していくうち

”自分”を愛してほしいのに、

いつのまにか”自分”は隠さないといけないものになっていた。

 

 

でもどうせこのまま生きていくなら、

いつかは愛されたいし、人に愛情を与えられる人間になってみたい。

死ぬ間際でいいから

「あぁ自分は生きていてよかったんだ」と思いたい。

 

 

 

 

思えるのか疑問な所だけど。

そんな人生なら生きてみてもいいかなって、そんな話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい