吐き溜め日記。

つらつら書きます。

死にたいの話。

 

 

 

どうも、2日ぶりです。たおです。

今日は死にたいの話です。

 

 ”死にたい” ただ茫然とそう思う。

なんで、とか生きたくても生きられない人がいるのに、とか

今まで育ててもらったのにとか言われる。

 

そういう問題じゃない。

 

いや、それが世間一般、普通の正しい意見なのは分かる。

それは頭では理解してる。

でも死にたい。自分が生きている事が誰よりも許せない。

そんな気持ちはなくなるどころか日々膨らんでいく、

 

こんなこと言うと元も子もないが、「産んでくれ」と頼んだ覚えもない
勝手に産まれて、育てられて、死なせても貰えなくて
ずるずると生きている。そんな死にぞこないの弱虫からみたら

 

”生きたくても生きられない”と

”死にたくても死ねない”はほぼ同じだ。

 

ただ決定的に違う点がある。生きたい人は

「自分が生きていることを他人に求められている」と思えている。

自分の生きている世界に希望があるのだ。

他にも死ぬのが怖いとか、色々あるのかもしれないけど。

 

死にたくても死ねない人間は

自分の生きている世界に希望なんてない。

自分が生きていることを他人に望まれているなんて思えない。

ただのネガティブ偏屈野郎じゃねぇかと思われるかも知れない。

実際文章にしてみると私もそう思う。

でも違う、それだけじゃない。

別に私だって物心がついた瞬間から死にたかったわけじゃない。

それなりに夢もあったし、希望を持ってた時期だってあった。

色んな事や環境があって、

それらを少しずつ押し殺すしかなくなっていくうち、

気付いた時には自分が生きていることを許せなくなっていた。

 

もうどうしようもない。

本当はこんな事自分が1番考えたくないのだ。

私だってできるなら呑気にぬくぬくやりたい事をやらせてもらって

インスタに「周りの友達や家族に感謝(キラキラ)」とかやりたい。

ツイッターの鍵垢で「死にたい悲しい」なんてメンヘラ芸やりたくない。

安定剤なんて飲みたくない。病院にも行きたくないし、

なんの解決にもならないカウンセリングなんて受けたくない。

 

そんな私はお金を貯めてスイスに行こうとした。

安楽死制度に頼ろうとした。

英語喋れないじゃねぇかとか、パスポートねぇだろとか

そんな事考えられなかった。

”死なせてもらえる!!!”それしか考えられなかった。

合法的に死なせてもらえる。

もう自傷して死ねなくて情けなくなることも、

眠れない夜中に絶望して泣く事もない。希望だった。

夜な夜な調べた。金さえ貯まれば死ねるというのは

私にとてつもない安心感を与えてくれた。

スイスなら最後の晩餐はチーズフォンデュかなとか

寒そうだし可愛い冬物買っていこうかなとか考えてた。

死ぬ事にポジティブなタイプの馬鹿だ。

 

 

そんなある日

調べていくにつれてあることに気付く

実はこの安楽死制度、

精神疾患のある人間は殺してくれない

他にも条件はあるが目が点だった。

よくよく考えたらそりゃそうだ、

この制度はあくまでも、

”やむにやまれぬ事情”で死を選んだ人の為の制度だ。

ネガティブ偏屈野郎の救いの道じゃない。

 

 

また振り出しに戻った。

何もしてないのに自殺に失敗した時と同じ気持ちになった。

 

 

結局生きたくないでも死ぬことも許してもらえない、だから
病院に行ってカウンセリングを受けて安定剤を飲みながら
今日も生き地獄でずるずる死にぞこないとして

いつか死ねることを希望に生きていくしかないのだ。

 

 

 

 

おしまい。